ブログ・エントリーを書くとき、普段ならばある程度自分の心の中で一通り整理をつけてからスムーズな文脈に考えを乗せていくようにして書くのだが、「ジェイムス・ジョイスへの心からの賛辞」を書こうと思うとき、そういう「スムーズな」仕方は避けたいと思ってしまう。たとえば、カール・ユングがジョイスとかれの娘ルシアを比較して「二人とも水の中にどんどん深く沈んでいくが、父は潜っており、娘は溺れている」と言ったけれど、ジョイス本人からしてみれば、「はっ、だからどうしたよ!?」と言って彼の文学を紡ぎ続けたに違いない。要するに、ジョイスについてもっともらしいことを言おうとすると、自分の感情に正直でいることができないだけでなく、結局何一つもっともなことを言えずに終わるのだ。だから、これまでジョイスの本やリチャード・エルマンの「ジェイムス・ジョイス伝」なんかを読み続けてきて、思うことをダーッと勢いよく書いていく他に、ジョイスへの心からの賛辞を唄う方法を僕は知りません。
ジョイスは非常に目つきの悪い小僧だった。6歳の彼の写真には、既に晩年までひたすら膨れ上がっていくことになる自己が垣間見える。でも、それはちっとも悪いことではない。ジョイスいわく、本物のエゴイストでい続けることは何よりも難しい。かれは、自分は母国アイルランドのために殉死した聖人なのだと豪語したりもした。9歳のときに、既に政治的な皮肉をこめた詩「パーネル、お前もか」を執筆、まさに天然の文学者であり、こんなにも若いときから自分の言葉、自分の文学を何の恐れもなく書き殴ったことに僕は驚く、そしてうらやましい、心からうらやましい。僕はこどもの頃何者であったかと自問してみると、12歳までは数学者であり、13歳から17歳までは将棋指しであり、その後はなんだからわからないけど今に至る、という感じで、13歳で目覚めた将棋指しの自分をすっかり見捨ててしまって現在があり、ジョイスの首尾一貫した文学者としての人生との対比は正直絶望の素にすらなりうるが、ヘミングウェイやジオノなんかは遅咲きだったし、そういう単純な対比で絶望するのも馬鹿馬鹿しいのでそこまで悩んでいるわけではない。とにかく、ジョイスに親近感が沸くのは、かれは早い内から現実と言葉の密接な相互関係に気づいており、言葉の力を信じきっており、世の中には言葉によって生きる人がいるのだということを知り、かれはひたすら言葉を書きまくり、少しでも文学的な怠情に陥っている者がいれば厳しく糾弾していたり、あるいは軽蔑したりして、要するに徹底的な実力主義者であり、日本でいえば将棋の師匠や剣道の師範のような、あるいは谷崎潤一郎の『春琴抄』に登場する春琴をはじめとする琴の師匠たちのような意気込みだったのだ。これは本当にすばらしい、特に当時のダブリンはゆっるい雰囲気が充満していたからジョイスの怒りの一層の凄まじさがしれよう。
とにかく、そういう性格をもったジョイスは16歳まで初等学校に通い、Jesuit(日本語訳がわかりません…)の先生たちにみっちり仕込まれ…なかった。そうとうに厳しい学校だったのだが、ジョイスは一向にめげず、キリスト教や当時の美学・道徳に執拗に反発し、そういう反発に加勢してくれる人たちとのみ仲良くなり、かれにとっての「その他大勢」はジョイスにとって虫けらも同然、露ほどの尊敬もジョイスから勝ち得なかったのだ。イタリア語をダンテとデアヌッツイオから学び、ラテン語にもたけたジョイスは、もちろんアイルランド語も学び、英語も常人では及びもつかぬ流暢さ、そして何より、日常にはびこる雑学に詳しく、普通の人では到底覚えていないような小さなことを何年も何年も記憶する才能もあり、超好奇心旺盛で、その好奇心の旺盛さは裏を返せば肥大した自己の体積にも比例していたわけだ。本もたくさん読み、超影響されやすい性格だったジョイス少年はアクィナスを読めばかれの美学に惚れ、ダンテを読めばかれの詩学に惚れた。とにかく手当たりしだい本を読みまくり、その一々に没入していった。当時の初等学校の教員はジョイス少年の博識にタジタジであっただけではく、ジョイスの感情の激しさ、かれの非常に偏った、しかしなかなかジョイス本人は手放そうとしないテキスト解釈に頭を悩ませたらしい。ジョイスはというと、まもなく文学の授業が馬鹿らしくなり、たとえばある日など20分遅れで教室に入室、すたすたと窓の方へ部屋を横切り、頭を宙に突き出して、反対側の窓から教員が頭をやはり突き出して「良い日ですね、ジョイス殿」などと皮肉混じりにいえば、ジョイスは「ああ、あなたがそこにいるのに気がつきませんでしたよ、丁度そこを行く葬式行列の人数を数えていたところでして」という具合に返答した。僕などはこれを初めて読んだとき、ジョイスに拍手したくなってしまった。知識も情熱もない教員をあけっぴろげに冒涜するその図太さに乾杯! そういうわけで、ジョイスはほとんど落第寸前で卒業試験を合格、カレッジに進み、哲学とイタリア語を専攻。相変わらず学校にはほとんど行かず、たとえばイタリア語の授業の試験はダンテの原著を読んで学んだのみの非常に偏った、そして限られた知識をもってのぞみ、ダンテのスタイルを真似してエッセイなども書き、試験官たちは本来ならば不合格だが仕方がないパスしてやろう、という具合にジョイスを合格にしていったのだった。正に我が道をゆく怖いもの知らず、拍手喝采である。
ジョイス家はジェイムスが18歳になるまでは比較的豊かであったが、父ジョンがある日リストラをうけて事態は一変、ジョンは瞬く間にのんだくれとなり、一家は家具を売ったり内職をしたりしてなんとか食いつなぐ程度の貧乏に陥った。同時期にジョイスはイプセンの劇「When We Dead Awaken」の批評「Ibsen's New Drama」を執筆、それが当時のダブリンの文芸誌Fortnightly Reviewに掲載される。この書評はイプセン本人からジョイスへ個人的に感謝の手紙が届くほどの素晴らしい内容で、ジョイスの文筆家としての才気が溢れており、言語能力の素地の厚さ、文学に賭ける情熱、ダブリンの平凡で退廃した現実を直視する勇敢な眼差し、文学史についての博識と大胆な解釈などがみなぎっている。イプセンからの感謝状へ、ジョイスはこれまた素晴らしいレトリックを駆使した返事を書き、イプセンほどの大物から直接感謝されることを光栄に思う、と表向きには書きつつも、行間には「あんたのような老人作家の時代は終わった、これからは私のような書き手の時代だ」とはっきりと示唆している。その周到さ、その大胆さは僕の度肝をぬく。文学のためならば、謙虚さすらも犠牲にするということか。ジョイスの自信が伺える、というわけではなく、これはむしろジョイスの文学への謙虚さが人間としての傲慢さとして表れた典型だろう。事実、ジョイスはどんな作品であっても、その作品がもつ輝きをしっかり理解して記憶にとどめる名人でもあったのだから。かれはその生き生きとした記憶力をふんだんに駆使してあの『ユリシーズ』を書いたのだ。
…と、ここまで書いてきて、ジョイスの年齢を間違えているかもしれない、という不安に駆られた。イプセンに対する批評を書いたのは18歳で間違いないのだが、カレッジに入学したのは16歳ではなく18歳だったかもしれない。ともあれ、ジョイスは21歳で卒業したあと、ある日、「フィンズ・ホテル」の受付で働いている女性を通りでみかけ、声をかける。いわゆるナンパである。しかし、ジョイスのナンパはそこらへんのナンパとは比較にならないほど知性に富んでいる。証拠となるものは一つもみつからないが、きっとそうであったはずである。この女性こそ、ノラ・バーナクルだ。かのじょはジェイムスの異様な活気に一瞬で惚れてしまい、それから二人は超密度の高い関係をすぐに築くことになる。二人の間を往復した幾通ものラブ・レターのほんの一部がエルマン著の伝記に収められているが、ノラの前ではジョイスといえどもメロメロだ。二人のすごいところは、なんといっても、お互いの全てをお互いにさらけ出し、それらを全てお互いが受け入れたこと。ジョイスは妄想がすごくて、ほとんどこいつ頭おかしいんじゃないか被害妄想やファンタジー激しすぎじゃないかと凡人ならば判断してしまうことを平気でノラへの手紙に書き殴る。ノラもそれを受けてジョイスを徹底的に馬鹿にする、あんた馬鹿じゃないのそんなこと言って私がどれだけ傷つくかあんた考えてないでしょ冗談じゃないわ可哀想なジムあなたは可愛いお馬鹿なジムなのね、といった具合に嵐のごとく喧嘩と和解を数限りなく繰り返した。
おっと、あやうく忘れるところだった:20歳のころ、ジョイスは当時有名だった作家のジョージ・ラッセルの自宅に、なんとアポ無しで真夜中に押しかけている。一般人の家に行くときであっても、いきなり真夜中に押しかける奴はまず社会からけりだされて野たれ死にするのがオチだが、ラッセルは奇跡的にもジョイスを室内に迎え入れ、二人は翌朝まで哲学や文学を語った。ジョイスはその頃、「顕現」(エピファニー)と自ら題した、詩のような心象スケッチ、「ものごとの本質が垣間見える瞬間」をノートに書き溜めていた。その一部をラッセルに読ませ、ラッセルはそれに感銘を受け、ジョイスの才能を認めた。ジョイスはその晩、ラッセルの賞賛に調子にのったか、ラッセルを始めとするいわゆる「ケルト文学復興」の運動にくわわっていた作家たちがいかにつまらない凡人たちであるかを得々と説き、ラッセルが気を悪くしてもお構い無しに逐一いかにラッセルが間違っているかを指摘していったそうだ。朝になってジョイスが帰路につきやっとこさ解放されたラッセルの気苦労思うべしである。ラッセルはすぐに友人でありやはり名だたる作家であったウィリアム・バトラー・イェイツに連絡をとり、「近々あんたのところにジェイムス・ジョイスという無礼な才気溢れる若者が行く、そやつは私の文学の全てを否定してくれた、あんたも気をつけた方がいいぞ」と伝えたという。
22歳、ジョイスはノラと二人でフランスのパリへ駆け落ちする。親には「医学を修めにいく」と理由を話したが、本当は単にダブリンに飽き飽きしたのがジョイスの真の動機だ。パリ留学のための費用を、ジョイスは当時のアイルランドのあらゆる作家や友人にせびった。そのせびり方がまたすごい。ジョイスは自らを悲劇のヒーローに仕立て上げる話術がとにかく天下一品で、こんなげせない動機で留学するのに、なんと多数の人々から旅費をカンパしていただけた、のみならず、道中、ロンドンに住むイェイツ家に泊めてもらえることにまでなったのだ! ああ、言葉の力恐るべしである。まことに。イェイツとジョイスの初対面は、このときであった。ときに、イェイツ35歳。脂ののった時期であり、執筆活動も旺盛、花の作家である。片やジョイスは駆け出しの文筆家、才能はあるが本を出版しておらず、仕事もままならない乞食同然の貧乏学生。二人はロンドンのカフェにて待ち合わせ、ジョイスは一時間ほど遅刻して到着した。 到着するなり、イェイツに今何を読んでいたのかと訊ねる。バルザックだ、とイェイツ。バルザックだって!? ジョイス、大笑い、カフェのお客の注意をひく、そしてかれは続ける、いまどきバルザックなんかに熱心になるのは時代遅れのじいさんのすることさ、あんたまだ若い作家だろう? イェイツは、シェイクスピアを挙げてジョイスの意見を待った。ジョイス、やはりシェイクスピアも一網打尽。例によって、イェイツがいかにロマンに捕われたダメ作家であるかをジョイスは延々と語り、最後に立ち上がったあと、「どうやら、あなたに会うのが遅すぎたようです」と言い残してその場を去ったという。いやあ、宿主にむかってのこの態度、真似できませんな! はっはっはっ! これがジョイスですよ、ジョイスの真髄です。相手が恩人だろうが有名だろうが関係なし、大切なのは作品のみ、というわけです。この徹底ぶりは、当然ジョイスにとって多くの敵をつくることにもなり、貧困に悩まされることにもなるのだが、いつもギリギリのところでジョイスは飯にありつき、ゴキブリかネズミのようにしぶとく生き残っていきつつ超名作を書くことになるのだ。この根性、すごすぎ。
さて、パリに到着するや否や、ジョイスは勉強を一切せず、小説を書きまくる。お金がなくなると、常套手段である「悲劇的短自伝」を実家へむけて執筆し、お金をせびる。そして、空腹を紛らわすために小説を執筆した。この頃、かれは三つの作品を同時並行で書いていた。一つ目は、ノラへの心からのラブ・レターとしての「Chamber Music」という詩集。「Chamber」とは小さな部屋(愛が紡がれる部屋)であると同時にトイレのこと。ジョイスのスカトロジーとロマンスがよく表現されたタイトルである。かれは手書きの本をノラにプレゼントし、ノラはジョイスの詩がとても気に入ったという。僕も最近になってこの詩集は読んだのだが、農村出身で字の読み書きもままならないノラへの配慮が感じられる平易な言葉、響きのみで意味がわからなくとも愛情を感じる言葉選びが際立つ一方、詩としては当時の主流のどれにも当て嵌まらない非常に独創的な面も兼ね備えており、凡人への親近感と芸術としての究極とを両立させていくジョイスならではの手つきの鮮やかさがみてとれて非常に満足だった。二つ目の作品はご存知「ダブリナーズ」、ジョイスいわく「よく磨かれた手鏡」であり、ダブリンの人々に自分たちの本当の姿をようくみせてあげようと目論んで書かれた毒気たっぷりの短編集である。どの短編も、最後の一文でいっきにやられてしまう、という切れ味たっぷりなものばかりで、またまたジョイスいわく、「魂の流れそのものに限りなく近い滑らかな文体」で綴ったというのだから相当なものである。「ダブリナーズ」は結局、脱稿から10年近く経ってようやく出版されたのだけれど、ジョイスは辛抱強くそのいざこざを生き延びた。自分の作品のクオリティを信じて疑わない作家の根気強さが思われる。そして、三つ目は「若い男としての芸術家の肖像」、これは最初「スティーブン・ヒーロー」という大長編として構想された自伝小説で、ビルドゥングス・ロマンの影響もうけた作品だ。主人公のスティーブン・ディーダラスはジョイス自身であり、スティーブンはキリスト教の歴史上で最初の殉教者であり、ディーダラスはオヴィッドの「変身」において登場する幻術師であり、ミノタウロスを閉じ込めるための迷宮をつくり自身がその中に迷うと翼を生やして空へと逃げる、という正にジョイスの文学そのもののようなキャラクターだ。
ジョイスは自分の作品の原稿のほぼ全てを、年子の弟のスタニスラウスに読んでもらっていた。スタニーは兄のジェイムスの旺盛な執筆活動と独特の文体に才能を認めており、自分も兄のような知力を身に着けたいと願いつつ、つまり半分は嫉妬心、もう半分は尊敬の念、という心持で兄の原稿を読み返事を書き続けた。はっきり言って、弟のこうした辛抱強いコミュニケーションなくしてジョイスは執筆を続けられなかっただろうと思う。弟をおいて、ジョイスの真面目な読者でい続けた人はついに一人もいなかったのだから。ノラですら、ジョイスがかのじょに『ユリシーズ』をみせたときには、「こんな誰にも読めないような本なんか書いてないで、歌手にでもなればよかったのに」と言い放ったというのだからジョイスの落胆ぶり孤独ぶり再三にわたっても思うべきである。ともあれ、スタニーのジョイスの初期作品に対する批評は非常に的確で、全体的には好印象であった。「スティーブン・ヒーロー」はとにかくジョイスが自身の学生時代を詳細にわたって書き込んだのだが、完成作品の「若い男としての芸術家の肖像」では大幅に詳細がカットされ、印象派の絵画のようにスティーブンは抽象化された。オリジナルは500ページを超えるものだったのに比較し、完成作品は200ページにも満たない。その推敲の過程は弟スタニーによって強力に支えられており、ジョイスは晩年、自分の唯一の理解者として弟を挙げるほどだった。しかし、やはり生粋のエゴイストらしくジョイスはスタニーの恩を仇で返した。好機を伺っては弟から金を借りたし、弟がアイルランドにいる間はかれを伝書鳩のようにこき使った。それに従う弟も弟だが、ジョイスの厚顔無恥はまさにボーダレスだったのである。
パリに移って数年後、ジョイスはイタリアのトリエステに移った。そこでノラは妊娠し、ほどなくして長男のジョルジオが生まれる。世界一のひねくれものでもあったジョイスは息子の誕生をうけて、「ノラと私だけでも精一杯な家計にこれ以上負担をかけないでほしいね!」と言ったという。だが、同時にジョイスはこの頃、かれの生涯の中でも最も美しい詩、ひとつの命の誕生をこの暗闇に覆われた暗澹たる世の中に灯る唯一の光として謳いあげた詩を書きもしたのだ。この両道こそがジョイスであり、かれを憎めない人間にしらしめる核なのだ。僕はそんなジョイスに男惚れしてしまう。もちろん、普段から色々と考え事をしていてなかなか食料にもありつけないジョイスの体格はガリガリの痩せ型で、ノラと並んで歩いていると母と息子が歩いているみたいで滑稽ですらある。ジョイスは全然セクシーじゃない。ヘミングウェイやなんかとは大違いだ(ある日飲み屋で他の客と喧嘩になったとき、ジョイスは傍にいたヘミングウェイの背中に隠れたという逸話も残っているほど)。そのくせ灰汁のある人柄で、一緒にいるだけでこっちまで衰弱してきそうなほど。そんなジョイスをノラはついに死ぬまで愛した。ばら色の愛ではなく、本当に喧嘩ばっかり、喧嘩ばっっっっっっかりしていたのだが、それでも別れなかった、そして和解の度に深く愛し合っていたところにこの二人の偉大さがある。ともかく、外見は滑稽そのものであり、おまけに「シャワーを浴びてもなんの(金銭的)利益もない」などと豪語して風呂にもろくに入らなかった不潔な男であったジョイスがよくもヨーロッパ大陸で知り合いも少ない中生き延びたと思う。語学に関しては一流で、ユーモアのセンスも抜群、雑学好きもエスカレートする一方で、ことあるごとに友人や著名人を面白がってリムリックを書くなどもしていたジョイスは、語学の個人授業のクチをみつけつつ、色々な人から大量の借金をしてなんとか食いつないでいた。ジョイスの借金癖は有名で、ある日ジョイスは再会した友人に「あんた、借金で有名なあんたに一銭も貸していない俺はユニークだな」と言われたところ、「大変不躾ながら、○○殿、貴方に10シリングの借りがあることをご記憶ですか」とかしこまった口調で丁寧に告げたという逸話もあるほど。かれは『ユリシーズ』においても、スティーブンに「一銭も借りがない人生とはきっと清すがしいものなのだろう」と空想させている。
愛すべきジョイスへの賛辞はまだ始まったばかりだが、かれのエネルギッシュな生涯と作品について考え続けていると、僕としてもかなり気力を消耗する。しかし、弱音はなるべくこれ以上吐かずに、淡々と思いを書き続けようと思う。
作品ということでいえば、ジョイスは一つ「コレ」と決めたら、その枠内で書けることは一つ残らず書き尽くそうとする作家だった。つまり、完璧主義者。たとえば、ある日、『ユリシーズ』の執筆作業に一日を費やしたあと、友人と会って食事をしたとき、かれの友人が「一日もかけたんだから、相当に進んだのでしょうな!」と言ったのに対して、ジョイスは「二行、終わりましたよ」と言ったという。「二行!?」と驚く友人にジョイスは次のような情報を与えた:「単語は全て決まっていました、ただ、それらをどういう順番でならべるのかを考えていたんです」。完璧主義者、恐るべし。このような恐るべき緻密さで、ジョイスは『ユリシーズ』を書いた。僕はまだ、この本のなかの全ての参照先を理解したとは思っていない。だけど、何度も何度も読み返したあとで、この作品の中の言葉、あるいはジョイスの思考回路が、自分の血肉となっているほど、この本はオリジナリティーと面白さ、鋭さ、愉快さ、悲惨さ、そして言葉の美しさに溢れている。僕は、この本の作品論だけは何がどう転んでも絶対に書かないだろうと思う。それは、この作品だけは僕の色で染めたくないからである。本当に染めたくない。この作品は都会で生きる一見平凡なレオポルド・ブルーム氏の一日を描いた作品だ。詳しくはウィキペディアにて調べてみてください。この作品に惚れてしまう一番の理由は、なんといってもジョイスのマメさである。愚かな都会人に対する深い深い超深い愛情というか友情というかシンパシーというようなものを持っていない限り、ここまで細部にわたってリアルに都会人を描き出すことなどできるはずがない。都会人の愚かな部分も誇れる部分もジョイスは一つもあまさずにかれの思いつく限りでのあらゆる文体で描きつくす。ジョイスのダブリンへの思いの前では、文学史を彩るあらゆる文体も悲鳴をあげ、焼き焦がされて灰となってしまう。そして、これこそジョイス流のロマンティシズムそのものなのだが、『ユリシーズ』がブルーム氏とスティーブンをとおしてあらゆる文体を一掃したのち、最終章で皆を救うのはブルーム氏の妻マリオンの寝る前の雑想及び妄想の流れなのだ。変態としかいいようのない妄想をひたすらズラズラと何十ページにもわたってジョイスは書き続け、最後にマリオンに「Yes」と言わせて本を結ぶ。世界中のあらゆる作家へジョイスが引導を渡した瞬間である。お前たちの言葉遊びはこの一人の母親、一人の女性の前ではノミかシラミのようなものだ、この女の生命の爆発をみよ、そしてお前たちのみみっちさを思い知れ! と叫ばんばかりに。実際、ジョイスはこうした怒りを多くの作家たちに向けて抱き続けたのでもある。言語力と金銭的余裕がありながら、どうして母国の作家は夢のような空想話を書き続け、下流階級や中流階級に属する人々の実人生に眼をむけないのだろう? ラッセルやイェイツが高尚な詩集を発表し、ヨーロッパ中の書評誌がこぞってかれらの文学的達成を賞賛していた中で、かれらとは比較にならないほどの才能の持ち主だったジェイムス・ジョイスは、一人、孤独に、普通の人生をおくる普通の一般人を描き続け、描き続けることをやめなかった。
『フィネガンズ・ウェイク』は、誰にも読めない本として悪名高く、エリート文学の金字塔のようにも思われている。しかし、そんな解釈は全く間違っているということが、ジョイス自身の言葉を読めばすぐにでも明らかになる。『フィネガンズ・ウェイク』は夜の本であり、夢の中を言葉によって波乗りしつつ、世界の記憶が無意識の法則にしたがって一つの大きな映像の川となって溶け合っていくその動きを描き出した作品だが、同時に、これは誰もがみうる夢を再現した本でもある。夢をみている主人公は、名前すら定かではないが、凡人であることはこの本の意味不明な言葉のなだれの端々からなんとなくつかめる。ジョイスいわく、「南アフリカの誰も知らない国の誰も知らない川の近くに住む一人の子どもが、私の本の中にかれの近所の川の名前を発見して喜んでくれたら、この本は成功だ」ということだ。余談だが、ヘーゲルは『ジェーナ講義録』にて、近代を「世界の夜」と表現している。理由は長くなるので省略するけど、僕は基本的にこのヘーゲルの表現に賛成。今、世界はまだ夜中、真っ暗であり、視界はあてにならず、そのくせその他の感覚器官は皆さえ渡っており、お互いの立ち位置もろくに把握しないままみえないどこかへ向けて各々が好き勝手に猪突猛進している。そんな混沌とした現代に、ジョイスの混沌とした『フィネガンズ・ウェイク』は、おそらく文学史の中で唯一の大きな無条件の「Yes」を言った本である。ジョイス以外に、この世界の夜の混沌を丸ごと引き受けて愛することのできる作家はいなかったのだ。たしかに、この本の中に書かれていることを全て理解しようとすれば、何十年も勉強をし続けることになるだろう。僕はしかしそれすら厭わない覚悟はできているが、まあその辺の中堅の学者たちや自称読書好きな人々が「こんな本読めるか!」と怒り出す気持ちもわからなくもない。しかし、これが現代を肯定する唯一の本なのだ。ジョイスはそれを書いてしまった。僕はそこから学びたい。ジョイスは師匠であり、最大の先生はかれ自身がのこした作品群であり、一人の成長していく人間の内面の純粋さを描きたいのであれば『若い男の芸術家としての肖像』を、故郷を写生したいのであれば『ダブリナーズ』を、恋文を書きたいのであれば「Chamber Music」を、都市の一日を描きたいのであれば『ユリシーズ』を、そして世界の夜を描きたいのであれば『フィネガンズ・ウェイク』を開き、稽古をつけてもらうほかに道はないのだ。そして、これらの対象を除いて、書く価値のある対象は残っているか? 「普通」が描けず、平凡な人が描けない人にいったい何ほどの作品が書けるというのだろう? 単に面白い寓話を書くだけならばいつだってできる。しかし、ジョイスを知ってしまったあとでは、そのような暇つぶしに明け暮れる余裕もすっかり消えてなくなってしまったのである。
僕はどれだけジョイスへの自分の羨望、尊敬、感謝、そういう感情を言葉にできただろうか? ジョイスの作品のページを開けば、あるいはリチャード・エルマンの書いた伝記に登場するジョイスを目の当たりにすれば、もっと具体的な参照と共に、僕は実に何週間もかけて、数百ページにものぼる賛辞を書き続けることもできるだろう。かれの魅力は一般的に語ってしまえばこれまで僕が書いてきたような文章で表現できるけれど、その実、かれの一挙一動のその逐一に違った風に輝きだしており、それら全てにしっかり応答したいという気持ちを僕の中に掻き立てるものだ。しかし、かれの言葉から学んだことを、なにもこのようにして書きたてるだけが、かれへの応答の唯一の方法ではないはず。だから、ここで僕はひとまずこの賛辞を結びたい。そして、ジョイスに学びつつ、僕も実人生を生きる普通の下流または中流階級の人々の一人として今までそうしてきたように生き、かれらのすべてにYesと言って自分の作品を書き続けたい。